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日本語訳は自動翻訳したものに管理人が手を加えたものです。
その為、訳文中には適当ではない部分もあるかもしれませんことをご了解頂き、
当"翻訳文"の無断転載はご遠慮下さいますようお願い致します。
なお韓国語の原文は、こちらでご覧になれます。


■■マニアとしての茶母嬖人■■〜『大衆文化の理解』著/キムチャンナム〜より

ファンとマニア

1. ファンとファンドム

大量生産されて大衆的に伝えられた文化生産物のレパートリーの中、特定の演技者あるいは演奏家、あるいは特定テキストを選択して自分の文化の中に収容する人々が、自発的に集まってお互いの趣向を積極的に共有する。 ファンはお互いの趣向を分けて情報を共有する一つの組織体として活動する時、ファンクラブという形態で現われる。
ファンクラブは一種の同好人性格の自発的の集まりで出発し、今は出来るだけ積極的に自分が好きなスターと係わる文化商品を購買する、 このようなファンクラブは葛藤とストレスを解消し、環境に適応する忌祭を捜す10代が主であり、これらは同じ趣向のような欲求を持った "ウリ(我々)"たちが集まっていることに楽しさを感じるのだ。
しかしファンドムは文化産業のスターシステムによって製造された商品に基盤しており、ファンドムが維持される為には絶えず新しい商品を出し、ファンがその商品を消費しなければならない。

2. マニアと能動的生産

特定の文化テキストに対してとても積極的に収容し、また余程豊かな情報と知識を持っている準専門家水準の収容者として非常に積極的なファンだと見られる。
マニアの登場は私たちの大衆文化が多様化されて専門化されたという事実を見せてくれる。マニアは大衆文化という領域で生産者側が一方的な権力を享受した状況で、収容者である大衆の声が大きくなる状況に変化することとも関連が深い。

マニアは文化的民主化の産物で、また主体的大衆集団の登場という点で非常に肯定的な側面を持っている。 マニアはある文化の精神的意味を理解し、その社会的脈絡と意義を通察して、それが自分自身の生との関連でどのような意味を持つのかを考えることが出来なければならない。
大衆文化の秩序の中でマニアは文化的多様性を維持する重要な堡塁で、既存の文化産業の支配的なフレームを壊す文化実践を見せてくれている。

マニアは自分の趣向によって積極的に情報と知識を収集し、これを共有して、自ら新しいテキストを生産する能動的な生産者の性格を持っているし、我々の大衆文化の多様性と真正な文化的デモクラシーの拡大の為に必ず必要な存在だと言える。

マニアとしての茶母嬖人

1. 茶母嬖人の出現

茶母嬖人というのは「茶母掲示板から去ることが出来ない人々を示す言葉として、大体的に識見が高くて感性と洞察力が優れた人々だ。包括的に '茶母人' の範疇に属する。
元々は '人なのを忘れる' または'良い人になることを諦める'の意味で廃するの '廃'の字を使うことが普通であるが、これら '茶母'はあまりに愛の概念が支配的なので、愛するという '嬖'の字を使う。」と茶母嬖人自らが定義している。

それなら何の理由で、放送局の商業論理によって作られたドラマに "茶母嬖人"という呼称まで使いながら沸き返えるのか?
茶母嬖人に対して知る為には、彼らがどうして現われるしかなかったかに対してドラマと係わって調べなければならないだろう。
ここで私は「茶母」がどうして嬖人を量産するしかなかったかに対して短い文一編を引用する。

「韓国ドラマの話法にはほとんど変化がない。それで何年か投資すれば、ほとんど筋書を通すことが出来るし、台詞まで占うことが出来る。 文材がある人なら、聞いたことがある風月で放送作家になることが出来るかもしれない。同じ格好のように背景が変わって、人だけ変わるが、フレームには変化がまったく見えない。まったく同じなお膳立てを受けて呆れたせいか、いつからかドラマを見る事が減った。
茶母....

個人的考えだが、韓国ドラマの歴史は「茶母」以前と以後に分けられなければならないのではないかと思う。
その理由はドラマの慣れた文法構造に破裂を起こした最初の作品だからだ。ドラマの主な消費層は女性視聴者だ。それで今まで生じたドラマは一様に彼らの目と欲望に合わせられている。退屈な現実を忘れる少しの間の幻覚剤のように、ドラマは女性視聴者のファンタジーを(途方もないが) どうにかこうにかして満たす役目に止まった。

女性キャラクターが出て来ても、毎度ドラマで歓呼と喝采を誘導するのは男性キャラクターである理由がそこにある。ドラマの女主人公はまさにTVに目を合わせている自分であって女性キャラクターではないせいで、彼女らの外見を羨んで追い付こうとはしても、感情移入は男性の話し手に向かうのだ。

ドラマが専ら、なぜこのようなのかと言うが、消費する女性視聴者の欲求と視線が、今ドラマの水準に変化を与えるほど早くなかったということだ。
もちろん莫大な利益を上げる放送社がそこに安住したまま相槌を打つことにには非難を浴びなければならないが、生産者が消費者の目に目を合わせる事に、これと言うどんな制裁も加えることも出来ないことだ。

「茶母」は漫画を原作にした。しかし作家と監督はまた違う色回りの作品を作り上げた。原作者は自分が女性キャラクターに付与した気性と進取性をドラマが毀損したと不愉快に思ったが、韓国ドラマ史上「茶母」ほど女主人公に躍動性と熾烈さを吹き入れた作品は今までになかった。男性制作者が生まれながらに持った限界が見えるにもかかわらず、「茶母」のチェオクは一番進一歩したドラマの女主人公だ。

私が「茶母」の前と後ではドラマの歴史が分けられなければならないと言った理由がここにある。
チェオクは奴婢という身分で欲望を去勢された存在だ。しかし今まで生じたドラマの女性キャラクターの中で一番激しくて熾烈に自分の欲求を追い求める。 両班に自分の価値観を説破する事にためらうことがない。(それも奴婢が...驚くべきではないか...) 強者が偽善を落として弱者を苛める事に怒りを隠さない。

義気という美徳が大部分、男性キャラクターの分け前だったことを考えれば、まことに驚くべきな部分だ。また自分の欲望が現われると、既存の人跡関係にとどまらず、我が道を捜してつかつかと歩いて行く。
「茶母」のオープニングで汗を流し、血をつけたチェオクが、不浄な自分の欲望に怒りながら生きるのを隠さない姿は、本当にどこも捜してみ難いところだ。

たいていドラマでの女主人公たちは、そのようにまで自分の欲望を現わさない。 受動性で武装したまま、ただ男性キャラクターの視線と欲望に符合する水準に安住するだけだ。
しかしチェオクは身分制社会で一番下積みを生きて行くキャラクターにも拘らず、自由な現代劇の女性キャラクターがあまりにも易しく諦める価値観と欲望の為に熾烈に争う。

チェオクのキャラクター描写に難しさを感じたというチョンヒョンス作家の吐露にも拘らず、女性作家が大半を占める既存ドラマの固陋な女性キャラクターを「茶母」は圧倒している。
チェオクだけではなくナンヒやタバクニョそしてスミョンのキャラクターで現われた大胆さと冷徹さは、実に眩しくないだろうか。男性のフェミニズム視覚が現われた最初のドラマが「茶母」と言っても無理がなさそうだ。(勿論、その力の源泉はパンハッキ画伯にあるだろう。)

両班夫人といっても、男性奴婢に強姦、殺害にあった以上それは弱者の死だ。水に濡らしたタオルで不当な強者を叩き伏せるチェオクの冷ややかな顔で、弱者の犠牲と悔しさに敏感に応じる女性キャラクターの怒りはひしと表出される。洞窟で自分を助ける手助けを振りはなすソンベクに拳をくらわすチェオクはまたどうなのか。

自分もしたくてしているのではないと言いながら毒気をふく時は、本当にくらっとする位だ. 瀧での選択が呪いに近い非難を浴びたりしたが、白頭大幹の終りで自分の内面の声に率直だった女主人公の身振りは、まことに胸がじんとした。ヤン判官に自分を餌に取り引きをしなさいと慫慂する時、チェオクが仄めかす表情には、今までどんな男性キャラクターにも感じられない強烈なカリスマが感じられる。

断固とした大胆な選択の分け前が大部分、男性主人公に与えられることと違い、 "茶母"では一番卑陋で力無いチェオクによって、その力が行使されたということに私は驚歎した。
女達が書いても、常にその口癖を言うドラマが全部である状況で、不便な男性監督と作家がチェオクというキャラクターをプレゼントしたことに尊敬と拍手を送る。
ドラマの慣れた文法に小さな変化を持って来る役を「茶母」が果たしたはずだと見る。
40年の大韓民国ドラマの歴史は「茶母」以前と以後に分けられるだろう。」

2. 茶母嬖人と新しい掲示板文化

2003年 7月に放送した MBC-TVの 14部作ドラマ「朝鮮女刑事 茶母」は国内初の HD (High Definition) ドラマでスクリーンの割合のような 16:9 画面に事前制作という方式を採択することで、ずば抜けた映像とサウンドを見せてくれた。
編当りの制作コストだけでも2億ウォンを超えた程に、目と耳を驚かせる多様な特殊効果と既存のドラマでは接することが出来ないキャラクターの構築、驚くべきなストーリーラインと事前制作から来る作品の完成度と俳優たちの演技で、「茶母」は1回が放映されるやいなや掲示板(http://www.imbc.com/broad/tv/drama/damo)にドラマに対する文等が数え切れなく上って来始めたし、結局茶母嬖人という掲示板に常在する集団を出現させる。

しかし何よりも注目するに値する点は「茶母」というドラマが作品的に持つ面より、ドラマの掲示板が以前のドラマ掲示板とは全然違った様相を帯びているという点だ。
「茶母」の掲示板が以前のドラマ掲示板と区別される理由をよく見れば、

第一、掲示板の参加年齢帯が非常に多様だということ。
以前のドラマ掲示板が出演俳優の10〜20代の女性ファンが主だったら、茶母掲示板の場合、30〜40代がたくさん登場し、何よりも掲示板文化とは連関性が落ちた 50代の女性層の参加が著しかったということだ。

第二、掲示板を通じる茶母嬖人の間のコミュニケーションが非常に活発だということ。
単純に掲示板に文を書くことに終わるのではなく、お互いの文に返事であるとかコメントを作成することで、掲示板内でも相互的な意思疎通が起きたということだ。

第三、オンラインを超えてオフラインまで拡大したということ。
単純にオンライン掲示板にだけとどまるのではなく、オフラインを通じて茶母嬖人の間の接触が成り立つことで、撮影場訪問、試写会などを通じて「茶母」に対するさまざまな情報やfeelingを共有する集まりをよく持ったということだ。

第四、掲示板に上って来る文の内容がドラマの外的な部分を含んでいるということ。
以前の掲示板が出演俳優に対する愛着やドラマ内容に対する自分の一次的な感情を要求する位だったら、ドラマ内容を分析して多様な視覚で眺めたということだ。
例えば、ドラマと係わって朝鮮時代における"茶母"の位置と役、ドラマの主要背景である漢城左捕庁の現在位置、機能などのドラマ外的な内容の文が現われるなど、内容の多様性を追い求めたということだ。

第五、制作陣と視聴者の間の相互意思疎通が活発だということ。
制作陣と出演俳優が直接掲示板に文を作成しただけでなく、 時間を決めておいてチャットを通じて疎通をして、視聴者の文に返事を作成するとか制作陣が放送局と関係なく、個人的に掲示板の文を選定して各種ドラマと係わる部分(ポスター発送など)に対する誠意を示すなどの活動が成り立った。

第六、多様な掲示物の制作が成り立った。
漢城左捕廳新報、嬖人日報など、ドラマと係わる部分を再構成して新しい作品を製作したし、ドラマを編集して M/Vや全然新しいドラマを構成するなど、多様な作品の製作が成り立った。

第七、自発的な掲示板言語の登場だ。
ドラマの時代的状況と台詞を考慮して "タモチェ(茶母体)"という終結語尾が〜하오で終わって、古語体を主に使う言語を掲示板で使った。
"茶母嬖人"という名前も自発的に作るようになった。茶母嬖人という用語とタモチェの使用で、掲示板内でお互いの凝集力を精一杯育てる結果も生んだと見られる。

第八、 掲示板を越えた新しい空間の登場だ。
お互いに文を作成する段階を通って、インターネット放送を通じてドラマの台詞と OSTを一緒に共有したし、全然新しい小説を作り、パロディを通じて掲示板小説を作ったし、自発的にサーバーを構築して募金を通じてドラマ掲示板を越えて新しい掲示板と多様な情報共有の空間(http://www.damopia.com, http://cafe.daum.net/mbcdamo)を完成したということだ。

第九、 多様な小さい集まりの構築だ。
地域別、年令別でオン・オフラインの集まりを通じて親睦を図って情報を共有したし、好むキャラクターや掲示板で主に活動する時間帯別でも集まりを作った。
例えば、 小説を書く集まりである "茶母文部屋"とか既婚女性の集まりである "アジュムペ"、職業が先生である茶母嬖人たちの集まり "フンジャンペ" など多様な集まりが活発に成り立っているということだ。

第十、莫大な掲示物数だ。
ドラマが放送される 7週の間に100万件の掲示物が作成されたし、 ドラマが終映後にも続く文によって 200万件の超える掲示物が作成されたということ。
切ない点はドラマ終映頃には掲示物数にとらわれすぎる現象が現われたりしたりした。しかし自発的な茶母嬖人の活動によって短期間内におびただしい量の掲示物が作成されたし、 毎回が終わった後には掲示板のサーバーが不安定になる位に掲示物が追われるせいで、一時 "サーバーの乱"という掲示板新種語が生じたりもした。

3. マニアとしての茶母嬖人

前述したように、マニアは自分の趣向によって積極的に情報と知識を収集し、これを共有して自ら新しいテキストを生産する能動的な生産者の性格を持つ人を称える。
それなら茶母嬖人はマニアと呼ぶことが出来るのか?
茶母嬖人らが「茶母」が好きな一般的な視聴者の立場で止まったら、人々はファンだと見るだろう。

しかし茶母嬖人たちは「茶母」という Textを活用して、新しい Textを生産し出したし、全然違った作品を作り上げたりした。
マニアの定義通りなら、能動的生産者の性格を持った茶母嬖人はマニアと見られるのだ。今から私たちは茶母嬖人が作り出した文化的産物たちをよく見る必要があるだろう。

1) インターネット小説

ドラマの登場人物たちの性格あるいは名前のみを維持して、全然違った背景とキャラクターを通じて新しい小説が登場した。
特定の人だけに許諾されられたのではなく、オンラインの全ての茶母嬖人たちが自発的に小説を書くことが出来る多くの空間が生成、維持されている。
小説のジャンルや主題も非常に多様で、インターネット小説の長所を活かして作家と読者がすぐ意思疎通を通じて作品を構成したりする。

もう数多い茶母嬖人たちによって百編程は超える作品が完成されたし、 今も相変らずたくさん作品が連載されている。
その中でも特に 30代の既婚女性である茶母嬖人が書いた小説「蝶」は同名のドラマで制作されたりした。

2) M/V とフラッシュ

「茶母」の場面を編集してドラマの感じを活かすことが出来る音楽と共にM/Vを作る場合も多い。
ドラマが放映される時点から倦まず弛まなく成り立ったこの作業は、茶母嬖人たちが直接ドラマ場面を選定し、音楽を選曲して作り上げる作品で、ドラマを全然違った Textである M/Vで切り替えるだけではなく、ドラマのストーリーラインをそのまま持って来て短いドラマ一編を完成する結果を生んだりもした。

3) パロディー作品と書籍

新聞(茶母嬖人日報/漢城左捕廳新報)とパロディ作品(右捕庁茶母日誌、茶母商品カタログ、嬖人の思い出)、百科事典(茶母図鑑) 及び書籍(茶母日報/タイムズ、ウザ[ウジャ]日報、 茶母コリア、誤打語録、茶母語生活運動) など多様な作品が作られた。
インターネット小説がオンライン上のページだけ借りて作品を書くことなら、パロディ作品と書籍はオフラインのツールをそのまま使って作品を作った後、それをオンラインに掲示する性格を帯びている。
ドラマの内容と係わったというよりは、ドラマの外的な内容にもっと比重を置いたし、嬖人たちが自ら記事を書いて編集し、他の嬖人たちと共有することに重点を置いている。

4) クイズ、パズル、コンピューター関連プログラム

ドラマの内容と係わるクイズや試験紙形式の問題を作り上げ、 写真資料を利用してパズルゲームを作り上げる。
またコンピューターの背景画面、アイコン、マウスカーソル、wav サウンドなどを製作して提供したりもする。「茶母」と係わった全てのものを共有し、新しくして日常生活の多くの部分で、いつも「茶母」と共にする為のものが多い。

5) インターネット放送

茶母嬖人自らが CJ(cyber jokey)になってインターネット放送をする。茶母嬖人だけの為である放送の内容は、初期にはドラマ関連内容が主で、台詞ファイルや OSTが主になった。
また、CJが茶母ソングや茶母関連広報音楽を製作したりしたし、この中には携帯電話ベル音(着メロ)で提供された場合もあった。
初期の放送がドラマ関連だったら、現在のインターネット放送は茶母嬖人たちの親睦企図・維持の為の性格が強いと見られる。

6) 「茶母」研究

ドラマと係わって歴史性に土台を置いた研究が成り立っている。
史学を勉強した茶母嬖人が掲示板に載せる文が茶母嬖人の間で呼応を得たことが手始めになり、今は一つのコミュニティ(http://cafe.daum.net/krcho)で活発に成り立っている。
例えば「朝鮮女刑事 茶母を通じて見たポストモダン」とドラマ「茶母」の 「時代背景に対する研究」 などが成り立った。ドラマを単純にドラマにだけ終わらせるのではなく、多くの視覚で学問と係わって新しく照明するということに意義があるとする。

7) 関連商品の製作・共有

ドラマOSTとポスター等の共同購買を通じて始まった商品購買は、ドラマ DVD 製作要求と DVD 製作に茶母嬖人たちの作品を一緒に収録し、 DVDの製作方向が茶母嬖人たちによって成り立った。
またドラマ関連小品、例えば通符やこよみ、ネックレス、 携帯ストラップなどを茶母嬖人たちが直接デザインして作って共有した。

8) 持続的な社会奉仕活動

茶母嬖人たちはオンライン掲示板だけでなく、多様なオフラインの集まりを通じて今も相変らず関係を維持している。
なによりも茶母嬖人自らが単純なドラマの視聴者やファンで残るよりは茶母嬖人という団体が社会に多くの面で役に立つように願う。
ドラマ放映中には水害義捐金を自発的に集めて寄託したし、各種の集まりを中心に水害民の助け合いや珍しい病の子供助け合い行事などに多様な方法で支援をしている。

4. 茶母嬖人、彼らが残したこと

茶母嬖人は「茶母」というドラマを愛して集まった人々だ。
彼らを集まるようにした力は「茶母」で、茶母嬖人を維持する力も「茶母」だ。 問題はまさにここにある。
茶母嬖人がマニアとして幾多の文化的 textを生産し、多様な文化的 textに肯定的な影響を及ぼしたと言っても、それはまずは「茶母」と茶母嬖人に友好的な視覚があればこそ肯定的な影響で評価が可能なのだ。しかし不幸にも茶母嬖人に対して否定的な視覚を持った人々が多い。

「茶母」というドラマの視聴率が 20%台だったから、 放送社側面では損になった文化商品ではない。
むしろ茶母嬖人によってドラマが持っている作品性を越え、「茶母」は多くの側面で好評を博した。茶母嬖人たちの「茶母」に対する愛は放送社ホームページで有料で提供するタシポギ(VOD)サービスを享受することで、放送社に空前絶後のコンテンツ収入金を上げるまでした。しかし茶母嬖人は少数のマニア集団に過ぎない。

そして通常のマニア集団がそうであるように、茶母嬖人は「茶母」に狂った狂的な存在にだけ認識されているのだ。
「茶母」を見ない人が、あるいは「茶母」が自分の趣向と合わない人が見るに、茶母嬖人はただ単に「茶母」関連情報に捕われ過ぎて、自分の生活を捨てて「茶母」掲示板にだけ付いている集団に認識されるのだ。
これは「茶母」放映初期の言論の誤った報道の為でもある。すべての言論たちがドラマよりは茶母嬖人たちを取材するのに関心を傾けたし、茶母嬖人を興味のタネで扱うことばかり焦点を合わせたからだ。

一時、インターネット掲示板では「茶母はなくて茶母嬖人だけいる」という言葉が流れたりした。
「茶母」から起因した茶母嬖人が、むしろドラマを選り分ける存在に認識されたのだ。
これは相変らず我が社会でマニア集団を否定的な視覚で見ているからでもある。
「我が社会でマニアを見る視覚は特定の文化テキストに対して狂的な愛情と執着を見せ、それであればあるほど、多い知識と情報を持っているマニアたちは時々非常に排他的で独りよがりだ。彼らは自分が持っている文化に対する愛情と情報を過信して、それで他人の言葉を聞いて心に留めて聞かない。 '私さえ良ければ良いだけ'というのが多いマニアたちで共通的に発見される考え方だ。」
しかしこのような否定的視覚にもかかわらず茶母嬖人が様々な面で肯定的な評価を受けるのは、先に話したように新しい掲示板文化を出現させたからだ。

茶母嬖人以後、MBCの「大長今」の"愛好長今"をはじめ、 SBS「バリで起こった事」の"バリラバー"、KBS「花より美しくて」の" 花抱え"など、茶母嬖人の掲示板文化と類似の状況が現われ始めたのだ。
ドラマに対する所感に止めた掲示板は、これからはドラマと係わった新しい文化的コンテンツを続いて作り出し、ドラマの内・外部的な要因に影響を取り交わすのだ。しかし茶母嬖人の文化が皆肯定的なのではない。

相変らず多い部分でインターネットと掲示板文化を共有することができる階層たちにだけ共有が可能で、生産された文化的コンテンツの大部分が 20〜30代主だったということは切ない点だ。
一つ確かなことは茶母嬖人によって我が国のドラマ掲示板文化で、もうこれ以上視聴者はドラマを見ているだけの収容者ではなく、ドラマと係わった文化商品を自ら製作し、選択することが出来る能動的な視聴者に変化したということだ。
そしてこのような事実は、これから資本論理の文化コンテンツが大衆に多様な文化商品提供として近付くのではなく、 大衆が多様な文化商品を直接作ることが出来る与件を用意してくれることに重点を置かなければならないということである。

内容出処 :<대중문화의 이해> 김창남 저(2003)
imbc 다모클럽 <다모아> / 마이클럽 "드라마에 빠지다"

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